2013年02月17日
KBCドォーモ【道の駅inワンダーランド】in佐賀の道の駅
先日のKBC九州朝日放送のテレビ番組「ドォーモ」にて
九州各地の「道の駅」を廻っていくコーナーがあり、その土地ならではの
名物や観光地スポットを紹介して面白いキャッチコピーをつけていくというその名も
「道の駅inワンダーランド」にて
佐賀の「道の駅」が紹介されていました。
最初に訪れたのは佐賀県唐津市厳木町牧瀬692-1にある「道の駅 厳木」
こちらに訪れる道中で視聴者の方からのおすすめキャッチコピーを紹介してました。
「白いギャルが踊ってます」
「お立ち台の上で回ってます」
などなど。
キャッチコピーに出てきたように
ここは高さ10mを超える佐用姫(さよひめ)像があります。
この佐用姫はあまり知られていないようなのですが
「浦島太郎伝説」「羽衣伝説」と並ぶ「佐用姫伝説」として
「日本三大伝説」として語られているようです。
*佐用姫伝説
1400年以上前のこと。
笹原峠の高さ400mぐらいの小高い丘に、佐用姫は生まれた。
宣化二(538)年大伴狭手彦、天子の命令で朝鮮半島の任那の国を助けるために、大和から、やってきた。
大伴狭手彦は、松浦(唐津)より、船出をするまで、長者の「お花屋敷」でくらすことになった。
佐用姫は狭手彦の身のまわりのお世話をしているうちに、若い二人は、おたがいに愛し合うようになった。
そして、「百合雅」という男の子が生まれた。
狭手彦は,自分の大事な役目を忘れてしまった。
そんなある日、
大和の国から、任那の国へ早く行くように天子さまの使いがやってきた。
狭手彦は、天子さまにお願いして、役目を誰かにかわってもらおうかと考えたが、
そんなことはできないと思い、狭手彦は夜になると、家来をつれて、こっそり松浦のほうへたびだった。
次の日の朝、お花屋敷の中は、大騒ぎになった。村の人々もやってきた。
佐用姫は百合稚をだきながら、広い屋敷を、ただ狭手彦を探して走りまわった。
しかし、どこもさがしても、狭手彦はいなかった。佐用姫は、外に飛び出した。
佐用姫は、やっとのことで、松浦の港についた。
海のほうを見たが、そこにも船は見えなかった。
(きっと島のかげになっているにちがいない。)そう思った佐用姫は、
着物のそでをしっかりとつかみ、ちぎれんばかりにふり続けながら、狭手彦を呼んだ。
佐用姫は、浜をめざしてかけおりた。マツ林をぬけ、すなはまにでた。船は、もう小さくなっていた。
佐用姫は、海の中に走りこんだ。こしまで水につかりながら、そでをふり続けた。そして、帰らぬ人になった。(わが町情報さんより引用させて頂きました)「わが町情報」さんのリンクはコチラ
なんとも悲しいお話のようです。
それからこちらの道の駅には
「結城食堂」さんというご飯屋さんで「唐津ちゃんぽん」を提供されています。
続いて向かわれたのは
佐賀県伊万里市南波多町井手野2754-9にある「道の駅 伊万里」
こちらの地名は佐賀でも知名度は高いと思います。
焼き物の伊万里焼や伊万里牛などが有名ですね。
こちらでは
伊万里牛のサーロインステーキを食されていました。
じゃんけんで、高橋 徹郎さんが岡本 啓さんに勝って
美味しそうに食べていました。
それを見ての岡本さんの一言・・・
「マジ、がばいっすね!」
意味としては「がばいすごかですね」と「やばいっすね」を
合わせて表現してみました。。との事。
でも本当に言いたくなるのは解るぐらい伊万里牛ステーキは美味しそうでした。
最後にやって来たのは
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1859にある「道の駅 桃山天下一」
ここは、あの「呼子」で有名なイカの名産地
もちろん、いかの活造りを召し上がられます。
お刺身でイカを食べて最後に天ぷらにして食べる。
間違いないですね!!
この放送を見てまた呼子のイカを食べに行きたくなりました。
もう少し暖かくなってから行こうと思います。
皆さんも旅のご参考にどうぞ~~
では次回をお楽しみに!!
(九州ホーム ALL すたっふ)
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九州各地の「道の駅」を廻っていくコーナーがあり、その土地ならではの
名物や観光地スポットを紹介して面白いキャッチコピーをつけていくというその名も
「道の駅inワンダーランド」にて
佐賀の「道の駅」が紹介されていました。
最初に訪れたのは佐賀県唐津市厳木町牧瀬692-1にある「道の駅 厳木」
こちらに訪れる道中で視聴者の方からのおすすめキャッチコピーを紹介してました。
「白いギャルが踊ってます」
「お立ち台の上で回ってます」
などなど。
キャッチコピーに出てきたように
ここは高さ10mを超える佐用姫(さよひめ)像があります。
この佐用姫はあまり知られていないようなのですが
「浦島太郎伝説」「羽衣伝説」と並ぶ「佐用姫伝説」として
「日本三大伝説」として語られているようです。
*佐用姫伝説
1400年以上前のこと。
笹原峠の高さ400mぐらいの小高い丘に、佐用姫は生まれた。
宣化二(538)年大伴狭手彦、天子の命令で朝鮮半島の任那の国を助けるために、大和から、やってきた。
大伴狭手彦は、松浦(唐津)より、船出をするまで、長者の「お花屋敷」でくらすことになった。
佐用姫は狭手彦の身のまわりのお世話をしているうちに、若い二人は、おたがいに愛し合うようになった。
そして、「百合雅」という男の子が生まれた。
狭手彦は,自分の大事な役目を忘れてしまった。
そんなある日、
大和の国から、任那の国へ早く行くように天子さまの使いがやってきた。
狭手彦は、天子さまにお願いして、役目を誰かにかわってもらおうかと考えたが、
そんなことはできないと思い、狭手彦は夜になると、家来をつれて、こっそり松浦のほうへたびだった。
次の日の朝、お花屋敷の中は、大騒ぎになった。村の人々もやってきた。
佐用姫は百合稚をだきながら、広い屋敷を、ただ狭手彦を探して走りまわった。
しかし、どこもさがしても、狭手彦はいなかった。佐用姫は、外に飛び出した。
佐用姫は、やっとのことで、松浦の港についた。
海のほうを見たが、そこにも船は見えなかった。
(きっと島のかげになっているにちがいない。)そう思った佐用姫は、
着物のそでをしっかりとつかみ、ちぎれんばかりにふり続けながら、狭手彦を呼んだ。
佐用姫は、浜をめざしてかけおりた。マツ林をぬけ、すなはまにでた。船は、もう小さくなっていた。
佐用姫は、海の中に走りこんだ。こしまで水につかりながら、そでをふり続けた。そして、帰らぬ人になった。(わが町情報さんより引用させて頂きました)「わが町情報」さんのリンクはコチラ
なんとも悲しいお話のようです。
それからこちらの道の駅には
「結城食堂」さんというご飯屋さんで「唐津ちゃんぽん」を提供されています。
続いて向かわれたのは
佐賀県伊万里市南波多町井手野2754-9にある「道の駅 伊万里」
こちらの地名は佐賀でも知名度は高いと思います。
焼き物の伊万里焼や伊万里牛などが有名ですね。
こちらでは
伊万里牛のサーロインステーキを食されていました。
じゃんけんで、高橋 徹郎さんが岡本 啓さんに勝って
美味しそうに食べていました。
それを見ての岡本さんの一言・・・
「マジ、がばいっすね!」
意味としては「がばいすごかですね」と「やばいっすね」を
合わせて表現してみました。。との事。
でも本当に言いたくなるのは解るぐらい伊万里牛ステーキは美味しそうでした。
最後にやって来たのは
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1859にある「道の駅 桃山天下一」
ここは、あの「呼子」で有名なイカの名産地
もちろん、いかの活造りを召し上がられます。
お刺身でイカを食べて最後に天ぷらにして食べる。
間違いないですね!!
この放送を見てまた呼子のイカを食べに行きたくなりました。
もう少し暖かくなってから行こうと思います。
皆さんも旅のご参考にどうぞ~~
では次回をお楽しみに!!
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Posted by 九州ホーム at 16:24│Comments(0)
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